中学生の勉強における適性と言いますか、向き不向きがあるとしたら、どのようなことだと思われますか?

どのような子は勉強に向いているとか、勉強に適性があると言えるのでしょうか。

 

世の中は不公平なもので、たいして勉強しなくても良い成績が取れてしまう子も結構いることは事実です。

 

中にはそのように見せているだけで、見えないところで結構頑張って成績を上げている子もいますが、そうではなく本当に勉強をほとんどしないまま良い成績を取れる子も結構いるのです。

では、そのような子は勉強に向いているのでしょうか?

そのような子は勉強に適性があると言えるのでしょうか?

 

たぶん学校の教師でさえも、そのような子は勉強に向いていると考えていると思いますし、圧倒的多数の方々が同意なのではないでしょうか。

あなたも、ほとんど勉強しなくてもできる子は勉強に適性があると思っていませんか?

中学生の勉強における適性

私の考えをお伝えします。

と言うか、こんな聞き方をすれば、たぶん私の答えは違うのだろうと想像はつくかと思いますが、その通りで、私はそのような子を勉強に向く子だとか、勉強の適性がある子だとは思っていません。

 

「中学生の勉強における適性=勉強しなくてもできる」ではないことに気付いて頂きたいのです!

才能は適性とは違う

たしかに勉強をしなくてもできる子は、勉強の才能はあるのだと思いますが、適性となると(向いているとなると)話は変わってきます。

 

これは単なる言葉の綾ではありません。

 

プロのスポーツ選手でもたまにいませんか?

天才と言われた割にそれほど活躍できない人は人々の記憶にあまり残らないだけで意外と多くいますよ。

 

中にはプロの世界であってもたいした努力もしないままトップレベルを維持できるような人もいることは事実ですが、たいていは天才と呼ばれるほどの才能があってもそこに努力が伴わなければ本来の能力は発揮できないものです。

 

実は中学生の勉強もその点はまったく同じなのです。

中学生の勉強における適性とは?

それでは、中学生の勉強における適性とは勉強を頑張れる人を適性があると言うのでしょうか。

勉強で努力できる子は勉強が向いていると言えるのでしょうか。

 

私の考えは、それでは半分正解だと思っています。

 

ただし、勘違いしないで下さい。残りの半分は才能だということではありませんので。

たしかに勉強を努力できる子は必ず成績は上がりますから、適性があると言っても差し支えないのですが、ここで気づいて頂きたいのは、

 

それではなぜ努力できる子は「努力ができる」のでしょうか?

 

ここに着眼することがポイントだと思います。

この理由がわかってこそ私の考える正解なのです。

勉強を頑張っている中学生はなぜ頑張れるのか?

こんなことを言ってしまっては身も蓋もないですが、中学生が勉強を頑張る理由は個人差があり、人によってその理由はバラバラです。

少なくとも、勉強をあまりしなくてもできるから頑張るわけではありません。つまり才能があるから頑張っているわけではないことはわかりますね。(もちろん中には才能があるから頑張っている子もいますが)

 

才能があるからこそ、努力することもなく、勉強を頑張らないため、本来であればもっと良い成績が取れるはずがそこそこの(それでも他の子から見たらかなり良い成績だったりしますが)成績で推移している子もいます。

中学生の勉強における適性が頑張ること(努力)であるならば、頑張る理由は具体的にはバラバラであっても、勉強を頑張っている中学生に共通して言えることはこれではないでしょうか。

 

成績が上がることで普通の中学生よりもより多くの喜びを感じられる中学生。

 

わかりやすくするために具体的な例をあげますね。

人としてどうかとは思いますが、他人を見下すことで優越感を感じられる子は優越感という喜びを得るために努力をします。

私はそのようなタイプは好きではありませんが、これもひとつの適性だと思います。

 

要するに、成績が前より良くなることに大きな喜びを感じられるようにすれば、努力できるようになるということです。

 

だからこそ、才能のある子は努力をしないまま良い成績を取ってしまうので、それこそその才能を「人より頭が良い」と思って人を見下すようなタイプでもない限り、成績が良いことに喜びは感じられません。だから努力をしようとしないわけです。

勉強ができる子であっても、ほとんどの場合は勉強が好きなわけではないですからね。

 

これは大人も同じではないですか?

好きなことをやって楽しく働けている人はほんのわずかしかいないと思います。

ですが、働かなければ生活ができないならば仕方ないので働くでしょう。

しかし何かの喜びがなければ義務感だけで働いていても努力はできることならしないまま、クビにならない程度に、つまり給料に見合う程度にしか仕事はしないのではないですか?

 

この考え方は、私が中学生のやる気を引き出すにあたり非常に重要視していることです。

 

いかにして中学生に好きでもないことで喜びを与えられるか?

 

以前にもお伝えしましたね。

中学生の多くは親や教師が思うほど、成績が上がっても嬉しく思ってはいません。つまり喜びがさほどないわけです。

そんな中学生にどうしたら「喜び」を感じさせることができると思いますか?

 

もちろん手段や方法となると個人個人で別のアプローチが必要になってきますが、上記の問いに対する答えは実は意外なことなんですよ。(意外な答えだったとか、目からうろこなどとよく人に言われますから)

私は一言で言ってしまえば、上にある青色の文字の問いに対する答えに導くように中学生にアプローチをすることで中学生のやる気を引き出しています。

 

それが私のやる気を引き出す方法です。

 

ここで言う答えとは何だと思いますか?

1度考えてみて下さい。

私の持つ答えが必ずしも最適解だとは言い切れませんからね。

 

世の中で答えが1つだけのものはテストの答えくらいですから。